井の頭公園にある家光の御切付旧跡
「井之頭」の名前をつけたのが、三代将軍徳川家光だという言い伝えがあります。
鷹狩りにやってきた家光が、ほとばしるように湧き出す泉を見て、近くのコブシの木に「井之頭」と三文字彫ったということです。
幕府の公式記録『徳川実紀』には、家光が狩りに来て獲物の数までの記述があり、事実のようです。が、家光名付け説は確証がなく、伝説の域を出ないようです。
この説は長く親しまれてきて、弁財天の西側の遊歩道の脇に御切付旧跡(コブシの碑)あります。
大猷院家光公様御手づから井之頭と御彫あそばされたる古むしの木是なり
御切付の文字は今に宝物にして内陣に秘蔵す
(猷はユウと読みます=はかりごと。古むし=コブシ)
この碑は1893年(明治26年)に建立されました。この碑のわきに家光彫刻のコブシの木を、何代か植えてきたそうですが、今はありません。
碑にあるように家光が彫刻した部分は切り取って、弁財天の持ち寺である石段上の大盛寺に宝として保存されていましたが、1924年(大正13年)の火災で焼失しまったということです。
この石碑を寄進したのは、『深川水船組合』です。1893年(明治26年)のことです。
水船とは、かつて飲み水を運んでいた船のことです。深川水船組合は、今は江東濾水会社になっています。井の頭池が江戸の飲み水になっていたこと、そして、その水を誇りを持って売り歩いていた人々がいたことを伝えるために建てたということです。