
東京・三鷹と吉祥寺の境にある井の頭公園。
その中心に広がる井の頭池は、単なる憩いの場ではありません。実はここから、東京の街を横切って隅田川へと注ぐ「神田川」が始まっています。
穏やかな池の水が、長い旅を経て大河へとつながっていく——そんな“水の物語”が静かに息づいているのです。
池のほとりを歩けば、江戸の昔から変わらぬ水の流れと、今も続く人々の営みを感じることができるでしょう。
井の頭池は、神田川の源流です

井の頭池の東の方にある水門橋の下が、神田川の起点——つまり源流です。
立て札には、こう書かれています。
「ここが神田川の源流です
神田川は善福寺川、妙正寺川と
合流して隅田川に注いでいます」
小さな流れが静かに動き出す場所。木々の緑が水面に映り、鳥の声が響き、時折カモが泳ぐ姿が見られます。
近くのベンチでは散歩中の人が休み、カメラを構える人も多く、まるで自然と都会が共存する小さなオアシスのようです。
水面に映る青空や木々の影が、ゆらゆらと揺れて一枚の絵のよう。
耳を澄ますと、風が木立を抜ける音とともに、小さな水のせせらぎが聞こえてきます。まるで東京の中心とは思えない、穏やかな時間が流れています。
ここが、あの有名な神田川の“最初の一滴”だと思うと、少し神聖な気持ちになります。
さらに視線を上げると、公園を歩く人々の笑い声が重なり、この水が“人の営みとともに流れてきた”ことを感じます。日常の中にある自然の尊さを静かに教えてくれる場所です。
江戸時代の神田川

江戸時代、神田川は「神田御用上水」と呼ばれていました。幕府が整備した上水のひとつで、江戸の町へ飲み水を供給していたのです。
お茶の水や本郷、上野方面まで水を届け、人々の生活を支える“命の川”でした。
当時の人々にとって、井の頭池から流れるこの水は、まさに日々の暮らしを支える生命線。井の頭池が枯れれば、江戸の町も困る——そんな大切な存在だったのです。
明治時代になると近代水道設備が整備され、1898年(明治31年)に神田上水の役目は終わります。
けれども、そこから始まった“神田川”の名前は、今も東京の地図の上を静かに流れ続けています。
現代に残る水の記憶

1964年(昭和39年)の河川法改正以降、源流から隅田川に至るまでの全区間が正式に「神田川」と呼ばれるようになりました。
春になると桜並木が川沿いを彩り、花びらが水面に流れる光景は多くの人を魅了します。
上流から下流まで、時代とともに人々の暮らしに寄り添ってきた川なのです。
水門橋の先は小さな広場になっていて、右手に伸びる小道にはカフェや画廊が並びます。
散歩の途中に立ち寄って、源流を見守るように腰を下ろせば、水のせせらぎとともに時間の流れを感じられるでしょう。

そしてもう一つの楽しみは、神田川の旅のはじまりを想像すること。この小さな流れが、やがて中野や新宿を通り、都心を抜けて隅田川に注ぐ——そんな水の道のりを思い描きながら池を眺めると、日常の風景が少しだけドラマチックに見えてきます。
もし時間に余裕があれば…
源流を見たあとに井の頭池の外周を一周してみましょう。
季節ごとに違う表情を見せる水辺の風景は、まるで小さな旅。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は静寂。四季折々の池の姿が、訪れる人の心を癒します。
さらに池の南側には、井の頭弁財天が鎮座しています。芸術や音楽の神様として知られる弁天様は、古くからこの地の水の守り神でもあります。
池の源流と弁天様——“水”と“信仰”という二つのテーマが、井の頭公園という小さな世界の中で静かに息づいているのです。
井の頭弁財天
まとめ|東京の“水の原点”を感じる場所
井の頭公園を歩いていると、ただの池ではなく“東京の水のはじまり”を感じます。
ここから始まる小さな一筋の流れが、やがて大きな川となり、何百万人の暮らしを支えてきました。
その水は住宅街を抜け、ビル群の下を流れ、春には桜の花びらを運び、雨の日には街の音を柔らかく包み込みます。
立て札の言葉に耳を傾けながら、水面を見つめてみてください。きっと、井の頭池の静けさの中に、江戸から現代へと続く“水の物語”が聞こえてくるはずです。
池の水が時代を超えて変わらず流れ続けるように、人々の営みもまたその上に重なり続けています。
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